Yasuno
 

1988年5月17日生まれ。
東京の下町、葛飾区出身。

両親が共働きだったため
ご飯を炊いてお味噌汁を作ることが
中学生の頃からの日課で

その頃の特技は
りんごの皮むきと、さんまの骨とりでした。

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大学へ進学したころ。
母の静脈瘤が悪化、父が脳梗塞を患い
家族で食事を見直すようになりました。

私自身も

思春期の頃から生理不順があったため

マクロビオティックから始まり、

ベジタリアン、グルテンフリー。

一時期の我が家では、お肉はもちろん
動物性の食材は一切使用しないという食卓が続きました。

さまざまな食療法を試みる中で

確かに、家族それぞれ身体の調子はよくなっていきました。

けれど、当時のわたしは
いつも食べ物に対して警戒していて

この食材は○か✖か
そんな風に物事をみていて

心が常に不安で、窮屈な想いをしていました。

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食に対する揺るぎない答えを見つけたい
今思うと、焦りのような思いを根底に持ちながら

大学2年次ハワイへ留学
帰国後、大学を2年間休学しました。

就”食”活動という名のもとで
菜食のオーガニックカフェ、長野の自然派のペンション
岡山にある食養生の宿等

日本各地を訪ねました。

そんな就”食”活動中に感じたことは

 

どこかで修行をし
知識や答えを教えてもらうのではなく

 

まずは、今の自分が

できることから実践してみよう

ということでした。

それから実家へ戻り
日々のご飯作りからはじまり

友人にお弁当を提供したり
ちょっとしたイベントへのお菓子の出店などを

経験していきました。

22歳のころでした。


~~

7年が経ったいま。

実家を出てシェアハウスに入ったり
カフェや料亭などに勤める時期もありましたが

生活の中心には
常に食がありました。

お野菜中心の生活は相変わらずですが
現在は比較的なんでも口にし、

身体とこころが安定してします。

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わたしにとって食への答えは

”楽しみながら作った料理を、美味しく食べて、幸せに日々生きること”
というシンプルな事でした。

理論でカチコチになりながら
食材に○✖つけて生活するよりも

どこかに答えがあると

必死に探し求めるよりも

自分の身体にある消化機能を信頼して


いま目の前にある

環境や仲間・家族を大切に

「おいしーね」
と笑い合いながら

いろんな食べ物を平和な気持ちでいただくこと。
そして食べたらしっかり身体を動かし仕事をすること。

それが私の基本姿勢です。

~~

私よりももっと
料理上手な人は大勢いますし

自分が料理人と名乗ることに
今でも少し疑問があります。

だけど。

食に対する想いは
人一倍で

食を通して、
大切な人と共に豊かになりたい

そう感じています。

その想いを形にしたら
てがみ食堂となりました。

最後までお読みくださり有難うございます。


あなたと私とが食事を通して

温かい交流ができたら幸いです。

With Much Aloha


【メディアへの掲載】

 

レボキャリ(Rainbow carrier)

http://rainbow-career.jp/?p=1968

 

NHK高校講座 | 家庭総合

https://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/tv/katei/archive/resume036.html